十数年前に大学でオリンピックについて学んだ時から、
「オリンピックは金の卵を産むニワトリである」
という言葉がでてきたわけで。
これを軸に綴ってみたいと思います。

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「無気力試合」っていう表現はどうなのかな、と思うのですが。
各試合によって調整というか波があるかもしれないし、
全力で戦ってケガとか疲れを残したら残念じゃないの。
「負けたほうが格下の相手と戦えてラク」だと評価されりするのも、
勝負の世界だからしかたがないような気がするんだけどね。
ルールの中で、いやルールを利用して最善最短の方法で勝利を目標とすること自体、
悪くないと思うんだけどなぁ。
もちろん「フェアプレーじゃないと審判が判断したらペナルティーがありますよ」
って部分までルール化されてるのなら、それも含めてだけど。

何のスポーツか忘れたけど、例えば「警告○回で退場」というルールがあるじゃない。
これを「○回まで行かなければ、警告を受けるほどラフプレイをするのも戦略のうち」
として当然の認識があるスポーツもあるでしょ。

なので、スポーツというゲームである以上、ルール内の行動は非難されるべきではない
と思うんだけど。
ただ、プロスポーツはダメよ。プロスポーツは1試合づつ観客を楽しませる義務があるから。
オリンピックは順位を決める世界大会だから。


で、ルール。ルールなんですよ。要は。
ルールを決める、あるいは改訂する段階から、戦いは始まっているのですよ。
例えば、「あるスポーツの国際連盟のトップ(理事?)」に何人、
自国の人間を送り込めるかによって、有利にも不利にも働くわけです。
まぁ、日本で言うと、身長が低かったりしますわね。傾向として。
 そういうので有利不利に大きく影響してくるんですね。スキーの板の長さがどうとか。


で、国です。国。
オリンピックは国と国の威信を賭けた戦いであるし、国威発揚とかいろんな目標があって国が全力でとりくむわけです。
日本ではそういう感覚が希薄かもしれないけど、言ってみれば国を代表した代理戦争の面がある。
そして、文化やスポーツの振興に力を入れている国というのは、たいへんすばらしい国である、という国際的なステータスでもあるわけです。(たぶん)
力を入れている、というのは、ぶっちゃけまぁ、金ですね。


で、金(カネ)です。金。
選手が強くなるには、まぁおおざっぱに言って、練習環境と、練習時間が必要ですわね。
ということは、アマチュアリズムと言いながら、普通に働きながら休日に練習しているようでは、まったく世界レベルで勝てないわけです。
(そういう意味で、日本女子サッカーガンバレ)
ということは、選手そのものの生活が保障されるレベルの収入と、練習に必要な環境(コーチとか場所とか設備とか)を揃えるお金をひっぱってこないといけないんです。

で、お金をひっぱってくるにはどうするか。
その国の中で、相対的に他のスポーツよりメジャーになるしかない。
メジャーになるには、勝つしかない。

そう、勝つしかないんです。だから勝ちにこだわるんです。


しかし、重要なポイントが1つあります。
それは、オリンピックというブランドのイメージです。
オリンピズムってやつでしょうか。
選手は努力し、汗を流して、練習して、すばらしい技術を見せて、感動を生む。
このイメージを借りることができるからこそ、スポンサーもつくわけです。

ですから、このブランドイメージをマネジメントすることが、IOCだかJOCの至上命題と言っていいでしょう。
つまり選手個人が、資金調達などのために腐心する、
というイメージがついては困るのです。
なにもこれは否定的な意味ではなく、選手が競技に打ち込むために考え出された仕組みなんではないでしょうか。

で、最初の話に戻ります。
「なりふり構わず勝つことだけにこだわる姿」というのはIOCのブランディングにとってマイナスイメージになりますね。
あくまで選手には、スポーツマンシップを見せてもらいたい。
でも選手にとっては、国のため、競技のため、自分のためには、結果を残すことが全て。
こういったズレが出たのが、今回の「無気力試合」問題だったんじゃないかなぁと思ったりするわけです。

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 次。義足の選手について。
 この問題も何十年も前から予測はされていまして。
 例えば「入れ歯があったらサイボーグなのか?」「目の手術で照準つけたら射撃とか有利では?」とか、空想は膨らむもんです。
 で、「入れ歯で問題になんかなるわけないだろう」と思われるかもしれませんが、
縫合というのはとんでもなく運動能力に影響します。
 スポーツ専門の歯科医もいますし、自前の歯より義歯にほうが調子がいいなら、
という話も現実にあるかもしれません。
 つまり、線引きが曖昧になってくるんです。
 特に、今回は「走る競技」で「義足」という、競技に大きく関わる部分で利用されたので、
今後はほんとうに線引きができないようになってくるかもしれません。

 で、スポーツってそもそも、ルールの中で技量や力を比べるものじゃないですか。
 例えば、いくら速く走っても、当然自動車には追いつけないわけで、
「できるだけ早くどこかへ到達する」という目標ではないわけです。
その枠の作り方によって、競技内容も参加者も変わってしまうという。

 なので、前の話と関係しますが、オリンピックという場の権威があまりにも
高くなりすぎると、ルールを変えたり、審判が誰になるか、場所はどこにするか、
ということが、ものすごい政治問題化、経済問題化するのが怖いですねぇ。
既にそうなってますが。

 柔道が顕著のようで。